微生物応用技術研究所研究報告集 第15巻 平成23年度 p.5-56
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特別寄稿


1.有機農業の現在と未来

-無農薬栽培への挑戦-

後藤正夫(財団法人微生物応用技術研究所農業大学校)

私は大学で"慣行農法"で発生する作物病害の教育研究に約40年間従事し、平成6年に定年退職しました。その後は無農薬・無化学肥料の自然農法を実践する大仁農場の自然農法大学校(現在の名称は、農業大学校)に招かれ、教鞭をとることになりました。それから18年が過ぎました。私の植物病理学研究・教育歴60年の中で、2/3は慣行農法、1/3は自然農法に関わってきたことになります。
私が大学を定年退職する数年前から、農薬公害に対する社会の関心が高まってきました。これはレイチェル・カーソンの"沈黙の春"や有吉佐和子の"複合汚染"に込められた重要なメッセージが、時間をかけてじわじわと社会に広く、深く浸透してきた時代でした。平成年代に入ってから、農薬工業会や農薬学者による農薬安全性の社会キャンペーンが盛んに行われるようになりました。何重にも張り巡らされた安全使用基準を守れば農薬を恐れることはないし、農作物の無農薬栽培には限界がある、というのがその主旨でした。特に果樹の無農薬栽培は夢物語にすぎないと強調されていたものです。
このような社会情勢の中で、私は無農薬、無化学肥料をベースにした植物病理学の教育・研究を始めることになった訳です。当時は大仁農場が開設されて間もない時期で、土づくりもまだ進んでいませんでした。そのため圃場では害虫や病気がよく発生していました。私はその大きな被害を見る度に驚くと同時に、その対応に困惑したのを覚えています。しかしその後、年ごとに作物の生育がよくなり、病害虫の被害も目立たないようになってきました。私はその現象に注目し、その科学的背景に大きな興味を持つようになって、海外の新しい研究成果にその答えを求め続けて今日に至っています。
科学の世界では二十世紀末から分子生物学が急速な発展をみせるようになりました。植物病理学の分野でも、病害抵抗性のメカニズムを分子レベルで説明する研究成果が次々と発表されるようになりました。しかも、その多くが無農薬栽培の可能性を示唆するものと私の目には映りました。それらの論文を読むたびに時代の変化を感じて意を強くしたものです。現在は、"土づくり"→"土壌微生物の多様化"→"全身誘導抵抗性の発現"や、"作物と有害生物の対話"という観点から、病害虫による被害からの回避を説明できる時代になりました。感慨無量のものがあります。
この論文は、私が自然農法大学校で長年続けてきた病害虫発生動態の調査・研究と、海外の文献調査をもとにして、無農薬栽培の現状を分析し、有機農業の将来展望をとりまとめたものです。
なお、本書の中で記述した病害発生の基礎資料は、大部分が農業大学校の授業科目「病害診断」での調査結果に基づいています。また有機農業の科学的背景は、最近海外で急速に厚みを増しつつある植物生理学と植物保護学の研究成果を元に解析しています。しかし、一部には私の先行的な解釈で記述した部分もあります。その点をお含み頂ければ幸いです。